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野中光正展

  • 作家名:NONAKA Mitsumasa
  • 開催期間:【終了しました】2014年 2月20日(木)~3月23日(日)
  • 開館時間:9時~21時
  • 定休日:月曜日
  • 料金:観覧無料
  • 主催:砂丘館

作家プロフィール

野中 光正 (のなか みつまさ)

1949年東京都鳥越生まれ。73年木版画・絵画をはじめる。68~71年太平洋美術研究所、73~82年渋谷洋画人体研究所で描く。77年横浜国際船客ターミナルでの初個展。89年新潟県高柳町に移住、紙漉を学ぶ。91年かやぶきの家(高柳)で個展、同年10月末に東京に戻る。以後は、ゆーじん画廊、ウィリアムモリスギャラリー、ギャラリーアビアント(以上東京)、高志の生紙工房ギャラリー(高柳)、アートショップ杜の未来舎ぎゃらりい(仙台) などで個展。

新潟市では新潟絵屋で01年3月、05年3月(画廊 Full Moonと2会場で)、06年11月、10年3月、12年3月に個展を開催。

「東京絵」 大倉宏

 

東京浅草にある野中光正の仕事場で絵を見ていたら「かけ」という

言葉が浮かんだ。

やりかけ、書きかけ、作りかけ…の「かけ」。

野中が生まれ、今も暮らす浅草は、東京の下町。銀座や渋谷などの

繁華な街を表とすれば裏的な地区という感じで、今も歩いていると

紙とかプラスチックとか仏壇とか 章とか、あれこれの問屋、小さい

工場などが目に入る。生家もかつては鉄工場をしていた。20歳の

野中はそこで働きながら、運河の巡る下町の風景を毎日描いた。工場

の音と油と水のにおいのするそれらの素描が、やがて簡略化され、イ

メージが消えていくのだが、この変化を「かけ」と考えてはどうか。

東京下町も今はビル街で、野中の家も50年前に3階建てのビルになった。

下町も変貌させた西欧文化の配電盤東京は、無数の新情報を発信し続け、

自ら全体をも劇的に変貌させてきた怪物都市だった。長期計画を綿密に

完成完成していくプロセスではない変貌は「かけ」のかけらをまき散らす。

中途半端でありつつ、きらきら輝く無数の「かけ」かけら。

野中のビルの2階は昔ながらの作りの和室。その上階のアトリエでコタツに

入り、LPレコードを聞きながら昼寝をした。バッハが終わると、どこかから

工場の音がかすかに聞える。野中が散歩するという隅田川、浅草寺界隈、谷中、

上野公園、美術館。平面に、空間が広がる都市に無数の異なる時間の矢が垂直

に、斜めにつきささっている。かけは「欠け」でもあって、そうした欠けたもの

が、無数につなぎ合わされた場所の暮らし。

顔料を自分で擦り、新潟の手透き和紙に刷る野中の抽象木版画は、完璧を求める

職人仕事の一面を持ちながら、近年はラフに筆を加えたり、雑巾で乱したり、

極的に緻密を欠けさせようとする。まるで完成手前の「かけ」状態に置かれる

画面に東京を感じる。

(砂丘館館長/美術評論家)

 

 

 

左 「深川貯木場」 1970年 コンテ、紙 

展示風景より

<関連イベント>

▪絵を見る話の会 

228日(金)1915-2030

一枚の絵:野中光正「河」

案内人:大倉宏 喫茶:浅川園 定員:20

参加料:700円(お茶とお菓子付)

申し込み:電話、ファックス、E-mailで砂丘館へ

 

▪ギャラリートーク&堀川久子パフォーマンス

31日(土)1300-1500

パフォーマンス:堀川久子

トーク:野中光正(聞き手:大倉宏)

参加料:700

申し込み不要(直接会場へ)

堀川久子:新潟市を拠点に国内外で、場と身体の関係に拘りつつ踊り続けているダンサー。水と土の芸術祭2012ディレクター。

 

 

 

新潟絵屋の旧HPでもご紹介しています【野中光正展に寄せて】(外部リンク)

☞スタッフblog みるものとよいところ 【野中光正展】